世の中は新型コロナウイルスの話題で持ち切りですが、本日で東日本大震災から9年となります。

東京オリンピックが目前に迫っていることもあってか、世の中から忘れ去られている感覚はどうしても生まれてきてしまいます。

しかし、震災後に日本各地で発生した災害の事を、私自身よく覚えているわけではないので、東日本大震災だけを「世間に忘れずにいてほしい」と言いたいわけではありません。

数年前の茨城県で河川が氾濫した際、仙台でも電車の運休などで仕事が休みになり、私は自宅のテレビでその様子を見ていました。

その氾濫で被災している方がいる、東日本大震災の時の私と同じように避難所での生活を余儀なくされている人がいる。

そんななか、その報道を何気ない日常のワンシーンとして見ている自分に愕然としたのを覚えています。

翌日は普通に出社し、オフィスの中でも茨城県が会話に上ってくることは無い。

「東日本大震災の時も、被災地じゃない地域はこんな感じだったんだ」と痛感させられました。

被害日本大震災から9年が経つのに先立ち、NHKでは震災に関するアンケート調査の結果を公表しました。

この中で『被災者の気持ちを相手に伝えられない』という回答があります。本当にその通りです。

社交辞令のように「家大丈夫だった?」と聞かれなくなってから久しくなり、今でも時々震災の話をすることがありますが、あの時の大変さや失った様々なモノに対する気持ちは総じて伝えられません。

伝わるはずがない。同じ状況に陥るまでは。

不謹慎かもしれませんが、東海地方の方は南海トラフが動けば、首都圏の方は首都直下型に見舞われれば思い知るはずです。

「いつまで被災者のつもり?」と思われるかもしれません。残念ながら「一生被災者」のままです。東日本大震災を経験したという事実が無くなることはありませんから。

極端な例を挙げれば、戦争を経験した方が一生戦争の経験を背負うのと何ら変わりはありません。

さて、『復興を実感しているか』という話をしましょう。

これには『実感していない』というのが私の回答です。

『復興』という言葉の意味に関しては割愛しますが、何をもって復興と言うのか。

震災前にあったモノが無くなっても、それを物質的に補うモノが流入して来ればそれで復興なのか。私はそうは思いません。

東日本大震災を機に、被災地は根底から変わりました。最も顕著なところで言えば生活圏が、最も分かりにくいところで言えば雰囲気がガラッと変わったのです。

「震災に関することは伝えられない・伝わらない」と述べたばかりですが、一つだけ「これなら分かってもらえるんじゃないか」という事があります。

それは全ての物事を考える根底に東日本大震災があるということ。

「地元に遂にモスバーガーが出来た。震災復興で」「地元にも陸上競技場が出来るはずだったんだけどなぁ。震災が無ければ」「○○も結婚したんだってよ。震災の後に」といった具合に、東日本大震災という出来事が一つの基準になってしまった。

ネガティブな考え方と捉えられるかもしれませんが、そういった考え方を簡単にはやめられないほど東日本大震災が私たちに与えた影響は大きいのです。

話は変わりますが、復興を印象付ける報道もありますね。

三陸道の気仙沼中央IC以北の区間が開通しました。それ以前の登米以北の開通も含め、『復興道路』の整備が着実に進んでおります。

個人的には帰省時に気仙沼中央ICが一つの鬼門(渋滞発生個所)になるのでありがたい限りですが、この道路が整備されることで沿岸地域が見えづらくなる点も強調しておきたいと思います。

特に陸前高田の区間は特徴的ですね。遠目からしか海が見えないので国道45号線沿いの状況が分かりづらくなりました。また、三陸道に乗らず一般道を走っていても「(昔ほど)海が見えなくなってきている」事も補足しておきます。

極論(かなり否定的に見れば)、復興とは被災地から人の目を遠ざける事業である、と言えなくもありません。

浸水区域はどうせ次の津波でまた飲まれるんだから、という理屈には納得できるのですが、その浸水区域こそが思い出深い場所であることも少なくなく、それらが見えづらくなってくるのがどうしても「だんだん忘れられていく」気がして悲しくなります。

だからこそ、せめて自分一人だけでも、震災前の記憶や震災の経験を忘れないでいようと強く思います。

それが「一生被災者」である私のプライドです。

以上です。

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