新型コロナウイルスの影響、さらには安倍総理の辞任報道により、国民の政治への関心は平時と比べて高まってきているのではないかと思います。

むしろ、そうであってほしいと願っているのですが…。

本記事では、私の政治の見方を1つ紹介しようと思います。

とても簡単な理屈なので、広く国民全体に行き渡ってくれることを願います。

福沢諭吉が唱える『政府』とは

今わが日本においても、ちょうどわれわれ人民のレベル相応の政府が存在し、人民に相応した政治が行われているのだといえよう。

『現代語訳 学問のすすめ』より

言い換えるならば、政治は国民を映す鏡である。非常にシンプルですよね。

私が政治を見るときには、常にこの言葉が指すところを忘れないように心がけています。

政治から学ぶ

『政治』と聞くと、どうしても『汚い』モノとして考えてしまいますが、前章で紹介した理屈に則るならば、それすなわち『国民』が『汚い』コトと同義であると言えます。

国家レベルで考えてしまうとどうしても個人が容易に想像できるレベルではなくなってしまうので、今所属している会社などに当てはめて考えてみると分かりやすいかと思います。

仕事の打ち合わせの場で、国会討論と同じような光景が繰り広げられていませんか?

与党(発起人)の揚げ足をとったり批判だけに終始し、より良い案を提示する様な人は少ないのでは?

国会の中で行われている議論が「建設的ではない」と思っている人たちの多くも、背景は違えど自らがその立場に立った時に同じようなことをしてはいないでしょうか。

ここから学べるのは、国家あるいは政治を変えようと思ったら国民が変わらなければならないというコト。

だって国会は国の縮図でしかないのですから。

選挙を考える

極論、投票率が上がっただけでは国民の意志が反映されているとは言えません。

だってその反映される意志が愚劣なモノだったら、どれだけ投票率が上がっても愚劣な政府しか出来ないんですから。

もちろん、投票率が上がるというコトは政治に関心を持つ国民が増えている証拠でもありますが、その関心の度合が重要である、というのが私の考えです。

関心の度合を高めるにはどうすればいいんでしょうか。

それは選挙の立候補者について知ることですが、選挙活動というのは株式市場と同じで日中に動いています。

まさに「サラリーマンが手を出すべきではない(黙って従っていればいいんだ)」と言われているような気がしてなりません。

国民の多く(特に若い世代)は政治に無関心であると言われていますが、そもそも政治を縁遠いものにしているのはその性質にあるのではないでしょうか。

政治は自ら学ぶ

思い返してみても、学校の授業などで政治を学習したような記憶はありません。

もし教材として扱っていたとしても、成人後までは覚えていられないようなつまらないモノだったのでしょう。

最近では「それが狙いなのではないか」とすら思います。文部科学省の管轄ですしね。

なので政治を知ろうと思ったら、自ら学んで行かなければなりません。

誰も教えてはくれない、と言いたいところですが、書籍という形で色々な方が政治に言及されています。

それらを余すことなく吸収していくのが、政治を知るうえで一番の方法ではないかと思っています。

テレビ番組から学ぶ、はNG

これは個人的な見解ですが、テレビ番組で報道されている内容を鵜呑みにするのは避けるべきです。

なぜなら、テレビ番組は視聴率獲得の為に大衆に迎合したり不必要に煽る内容になってしまう危険性をはらんでいるからです。

その点、書籍であれば個人の考えが顕著に表れてくるので、テレビ局やプロデューサーの意向に反した場合に妨げられるような意見さえ最後まで聞くことが出来ます。

そうした意見を聞くことでより広い視野を持つことが出来、難解な政治という問題を多面的に捉えることが出来るのではないか、と考えています。

最後に

繰り返しになりますが、政治を考えるうえで『政治は国民を映す鏡である』という前提に立つことが重要です。

そうすることで、縁遠いものに感じられる政治を身近に感じることが出来るだけではなく、政治家が我々国民と同じことをしているに過ぎないと分かり、我々国民が変われば政治家も変わるからです。

…偉そうにここまで語ってきましたが、実のところ私もまだまだ政治に関して詳しい方ではありません。

むしろ、これまでの人類の歴史を洗いざらい知るまでは詳しいとは言えないのかもしれません。

歴史が繰り返すというのなら、その歴史を知ることが現在の状態を把握、あるいは未来を予想する最良の方法ではないかとさえ思っているからです。

以上です。

スポンサーリンク