『東京オリンピック開催』で気付いた、気持ちの変化

ここ2年くらい、新型コロナウイルスもそうですが、身の回りに色々な事が起こりました。

なかでも一番大きかったのはやはり妻の妊娠でしょう。

「我が子が生まれてくる」ことに自分でもビックリするぐらい気持ちに変化があったのですが、それを気付かせてくれたのは『東京オリンピック開催』でした。

with コロナ世界

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、手指消毒を徹底する・外出時にはマスクをする・ソーシャルディスタンスを確保する、など普段の生活に大きな制約が課せられることとなりました。

とりわけ、ソーシャルディスタンス確保やマスク着用の徹底が難しい飲食店がとりわけ大きな打撃を受け、舞台や映画・スポーツ観戦なども同様に打撃を受けました。

最近ではフェスの中止にあたって著名人が素直な気持ちをSNS上で吐露するなど、「自粛疲れ」が至る所で見受けられるようになってきています。

さて、それら「自粛疲れ」に関する私の意見はというと、概ね同感です。

いつまで続ければいいのかこんな中でもいい話はないものか、とね。

『自分』から『子供達』へ

昨年、初めてのコロナ禍という事もあり、夏の甲子園が中止されるなど、目指していた舞台への道が閉ざされた高校生やら子供たちが多くいたはずです。

そこでふと思ったんです。

自粛疲れは出てきているのものの、子供たちが頑張れるように・夢を目指せるように、大人たちが我慢すべきなんじゃないか、ってね。

個人的には嫌いな考え方ですが、大人は我慢するのを割り切れるはず。

現役でいられる年齢を考慮しなければ、オリンピックだって4年後に(開催地は異なるものの)出場できる可能性があるんですから。

しかし、子供たちは『今』しかない。高校3年生の夏も、小学1年生の冬だって一度限りです。

割り切れると思いますか?

自分の子供に同じ事が言えるか

前章の続きで言うと、
「お父さんたち大人も大変だけど自粛しているんだから、○○くん・△△ちゃんも自粛頑張ろうね」
といった感じ。

人それぞれだとは思いますが、私は言いたくない

「自粛はお父さんたちが頑張るから、○○くん・△△ちゃんは好きな事に一生懸命取り組みなさい」
と、そう言いたい。

出来るなら前置きも無くしたいぐらいです。

これは、仕事をはじめ社会生活の場でも考えさせられます。

忖度という言葉がありますが、まさにあれ。

「自分の子供に、自分と同じように(忖度)させたいか?」

それで「子供にも同じような(嫌な気分になる)事をさせる」という人は少ないのでは?

「子供にさせたくない・教えたくない」と考える状況が生まれた時は迷わず指摘・反論します。

たった一人の人間ですが、一の変化なくして全の変化はありえないと気付いたので…。

最後に

常に『子供たち』を念頭に置いておくことが、より良い社会への入り口なんじゃないかな、と思えてきました。

でも大人たちが「子供のために」と言って、実際には子供のためになってない事があるのも事実。

難しい。

以上です。

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