国立大学を卒業後、私はとあるIT企業に就職しました。補足しておきますが、その企業はグループ傘下にあり、本流ではなかったとだけ言っておきます。
『ブラック企業』という言葉がそれほど浸透していなかった当時、私にとってそれは縁遠い存在だと思っていました。
まさか自分が新卒入社したその会社がブラック偏差値70オーバーだったなんて…。
以下、新卒入社した企業をH社とし、H社での経験をご紹介します。
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内定者勉強会
大学4年の10月に内定式を終え、それから入社まで月に1回くらいの頻度でグループ内各社の内定者たちと合同で内定者勉強会というものが開催されていました。
当時の内容はほとんど思い出せませんが、確かプログラミングに関する研修だったと思います。まぁ、IT業界なんで当たり前と言えば当たり前ですが。
全部で5回ほどあったのですが、各グループ会社の社員が持ち回りで講師を務めていることもあり、自分の先輩にあたる社員との顔合わせの機会としても有用だと考えていました。
がしかし、いざH社担当の回で出てきた社員というのが、いわゆる「おかしな人」でした。
コミュニケーション能力が絶望的に低いのは(IT業界という事もあり)ある程度は許容できたのですが、仕草がどうにも気持ち悪い方だったのです。
※入社後、その気持ち悪さは徐々に実感していくことになり、早々に「入る会社間違えたかな」という思いが芽生えました。
その他の回に関しては、ある程度楽しく進み、最終回にはいい意味で印象的なお話を聞くことも出来ました。
しかし、この内定者勉強会を通じて知り合った「いい人達」は私の入社後、間もなくして次々と退職していきました。
入社後の研修
入社後はまずオフィス内で新人が行うべき仕事を教わり、ついで日常の流れを教わりました。その後から本格的な研修へと入っていきます。
研修の内容は大きく分けて2つ。
1つがプログラミングに関する知識を各個人がプレゼンでまとめ、みんなの前で発表するというモノ。
プレゼンのレベルは作成時間が限られていることもありそれほど高くありませんでしたが、20人弱のプレゼンを全て聞くというのはなかなかしんどい時間でしたね。
もう1つが実技、すなわちプログラミングです。
進め方としては、プログラミングの問題が用意されており、その問題を各個人で進めていきます。そして完成したソースコードを教育係の社員がレビューし、フィードバックを行う、という形式でした。
各個人で、と書きましたが私個人の印象としてはみんなでワイワイしながら作ってました。
この2つの方式が並行して進められ、ある日はプレゼン、またある日はプログラミング、という流れ。
プレゼンの内容(研修で扱う基本的な技術ネタ)が尽きてからは、プログラミングの研修のみを淡々と進めるような感じでした。
研修後から案件配属まで
入社後の研修の最中に配属される案件が決まったのは同期の中で1人だけでした。
その為、グループ全体の研修後は各会社の研修と称して、それぞれバラバラに研修を受けました。
私が所属していたH社では、特に課題の様なものは設けられなかったので、基本情報技術者資格試験の勉強と淡々と進めていました。
「これでお金貰えるなんてなんて楽なんだ」と思った瞬間でもあります。
しかしそれも数か月で終わり、途中からはお題を出されて、そのプログラムを作成していくという内容に変わりました。
ただし、研修内容としてきちんと考慮されたものではなく、「なんか作ってみようよ」という適当なところから生まれた課題だったため、新卒の私はただ戸惑うばかり。
いまになってみれば「責任感の無い社員の投げやり仕事だったな」とつくづく思います。
その後は基本情報技術者の資格勉強と、先述の(無意味な)課題をこなしつつ、秋頃になってから案件への参画が決まりました。
役員たちの道楽
先述の通り、入社後の研修後は自社の研修を受け、秋頃に案件への参画が決まったのですが、この間にもう一つ出来事がありました。
それが、グループ内でもH社独自の社員企画発表会。
これは各支店で社員がシステムの企画を考え、ブロック(おおよそ○○地方単位)ごとに集まって発表するというモノ。
ただし、その企画を考える時間は勤務時間としてみなされません。
つまり客先常駐の社員は定時後に帰社し、いわゆるサービス残業の中で企画を考えなければなりません。
何よりも謎だったのが、その企画発表は最終的に本社の役員相手に行って順位付けまでされるのですが、それだけ時間をかけるにもかかわらず、その企画が実現されるコトは無いという点です。
名目としては社員の技術力向上という事でしたが、これは全くの無駄ではないでしょうか。その為、意欲的に取り組むのはブラック思考に浸っている一部の社員だけ。大抵の社員は乗り切ることだけが目標でした。
私が所属していた支店における状況としては、先輩社員たちにやる気はさらさらなく、新人(私ともう一人)に対して「何か考えておいて」というスタンスでした。
余談になりますが、若い人の発想を取り入れていくことは重要ですが、それをアテにしてはいけません。特に、基礎的な知識が備わっていない段階での「何か考えて」はただの責任転嫁でしかありません。
「何か考えて」欲しいのであれば、まず若い人たちの発想が生まれるような環境の整備をしてから言って貰いたいものですね。
話が逸れましたが、私は当時からこれを「責任転嫁」としか思っていなかったので、適当に考えて資料も適当に作って、発表だけをリーダーに丸投げしました。
発表間近となってリーダーは慌てていましたが、こちらも特に譲歩することはしなかったので、散々なプレゼンでしたね。いい思い出です。
参画した案件にて
入社後初めて参画した案件はJavaの案件でした。
当初は私と3年目の先輩がそのプロジェクトに携わり、同じフロアにリーダー格である中堅社員の先輩がいる、という体制でした。
しかしふたを開けてみれば、3年目の先輩はもとより、そのリーダー格でさえ新人の私をフォローするような姿勢では無かったのです。
そんな状況でしたので、私は仕事(システム開発)の進め方を教わることもなく、ただひたすらに手を動かすしかありませんでした。
そうこうしているうちに、プロジェクトの進め方、あるいは仕事の進め方として適切でない方法をとってしまったことがしばしばありました。
しかしそんな状況でも私をフォローしてくれる人はいないので、プロパーと直接やり取りをしなければなりません。これはなかなかの苦痛でした。
そんなプロジェクトも何とか終えて、同じ客先で別プロジェクトが立ち上がることになりました。
この時の体制は私と3年目の先輩とリーダー格の中堅社員に加えて、他社1名プロパー2名という体制でした。
私としてはリーダー格の中堅社員が入ったことで「これまでの進め方からは脱却できる」「ちゃんと教えてもらえる」という希望を夢見ていた頃です。
しかし、いざプロジェクトが始まってみると驚くべき事態に直面することとなりました。
私とプロパーとの間にリーダー格の中堅社員が入るどころか、その中堅社員さえ私と同じようにプロパーから指摘を受ける始末。
とてもじゃないですが、その姿を見ていて学べるコトがあるはずもありません。
そんな中でも上司からはリーダー格の中堅社員に対し、「H社としてのチーム体制を構築せよ」との指示が飛びます。
その指示は悪い作用しかもたらさず、私がネゴったうえで進めていた作業のチェックはするのに、私がそのリーダー格の中堅社員に対して動いてほしい時(作業の進め方などの確認)に動かず、結果としてプロパーに怒られたこともありました。
こうした状況にストレスが山積し、退職を決めるまでに至りました。
退職するまで
退職するにあたり、転職先を決めておく必要がありました。
まず念頭にあったのが「IT業界では働きたくない」ということ。
オフィス内の空気もさることながら、業界人の人間性に嫌気がさしていたのです。
そこで転職先の候補となったのが、営業職でした。
新卒入社こそIT企業に決めましたが、就活が終わった大学生4年生の後半になって人との出会いが急激に増え、段々と人と出会うことが楽しいと感じるようになっていました。
その為、より多くの人と関われる仕事として営業職が候補になっていたのです。
求人票を眺めて「これだ」と思う営業職2社に応募し、どちらからも合格を頂きました。楽しそうという理由で果物の訪問販売を行っている会社(以下、C社とします)に決めました。
その後、同じ客先に常駐していた別のリーダーとの話し合いを持ち、引き留めもかなり受けましたが「意思を変えるつもりはない」で押し切りました。
その後、拠点長との面談の場も設けられましたが、こちらは先述のリーダー格とは違って「いつ辞めるの?」という話からスタートしたくらいですから、慣れているのでしょう。
最後に
今回は『新卒入社したブラック偏差値70オーバーIT企業の話』と題して私の経験を中心に述べてきました。
きっと似たような境遇の方も多いんじゃないかと思います。何せ冒頭で述べたようにグループ企業なので、毎年新卒だけでもかなりの人数が同じ境遇に陥っているわけですから。
そんな方にも疑問を持っていただきたい。
「この会社で大丈夫なのか」「一生食っていけるのか」「定年まで勤めて、定年後の生活は大丈夫か」
全て答えはNOです。若い頃は良いかもしれません。ただし、将来は無いでしょう。
以上です。